2012.10.03
栗橋町の経緯って、結構地元の人でも知らない人が多いですよね。
そこで、今日は栗橋町の成り立ちについて調べた事を書きます。
もっと古い話もあるようですが、静村と豊田村という地域が合併して
1957年に発足したそうです。
江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として、
栗橋関所がおかれた宿場町(栗橋宿)であり、
国道4号・国道125号・埼玉県道3号さいたま栗橋線等の主要道路が、
交差する交通の節点になっています。
また、歴史的な地名としての「栗橋」には
現在の茨城県猿島郡五霞町の一部(元栗橋地区)を含む場合があり、
古河公方家の支城・栗橋城は両町の境界線上にあります。
現在「栗橋城址」とされる史跡は行政区的には五霞町側に所属していますが、
城の一部は権現堂川右岸である栗橋町側にも及んでいたそうです。
今後少しずつ、書き足していきます。